それで終わりじゃないでしょ

はらぺこあおむしのごとき私の齧り跡を並べています

今年は三草がゆ

1月7日なので七草がゆを作らなければ。

おかゆの作り方ってイマイチわかるようでわからなかったのですが、一昨年、土井善晴さん流で作ったら すっっっごくおいしかったのです。
あーおかゆの、お米のおいしさってこういうことなんだ!としみじみ食べました。
その時はお雑煮の残りの小松菜だけ、一草でした(笑)


去年はなんでか全く覚えてないのですが作らず食べずに過ぎていきました。

実は退院してからしばらくお腹を下していて、胃は元気だからいろいろ食べたいし食べてみるのですが消化されずにサヨナラ〜って出て行っちゃう感じでした。
しょうがないからレトルトのおかゆに梅干し入れて食べたらすっごいおいしかったんです。
母の梅干し、私には酸っぱ過ぎてあまり食べれないのですが、おかゆに入れたらこんなにおいしいのか!!と、おかゆと梅干しのおいしさに開眼した私。
そんなことがあったので、今年は七草がゆを作らないわけにはいきません。


しかしスーパーの七草セットはなんだかショボショボで買う気がせず、寒さにやられて道端で摘み歩く元気もなく、今年も一草かなぁと考えているとふと閃きました。

七草を野菜で再現できないかな?


【七草のメンバーさん】
・せり → セリ科
・なずな → アブラナ科
ごぎょうハハコグサ)→ キク科
・はこべら(ハコベ)→ ナデシコ
ほとけのざタビラコ)→ キク科
・すずな(カブ)→ アブラナ科
・すずしろ(ダイコン)→ アブラナ科

これを科レベルで野菜で再現したい…!


と、いいこと思いついた気がしたのですが、セリ科のミツバを買い忘れて早々に計画倒れました(笑)

そしてナデシコ科の野菜は思い当たるものが無い…
おそらく日本にはナデシコ科で野菜として栽培されている種は無いのではないかな??


で、七草4科のうちの三草2科というしょぼいメンバーになりましたが。
小松菜、大根(アブラナ科
春菊(キク科
の三草がゆを作りました。



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土井さん流のお餅入り

2杯目は梅干しで。





ああおいしかった。

来年はセリかミツバも買って、ハコベを摘みに行こうかな。
目指せ栽培品種入り4科がゆ! (笑)

デパートではしっかり元気な七草セット売っていそうですけどね。

術後①全能感がとまらない

つづきです。

harapekoikko.hatenablog.com






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HCUで管類はほぼほぼ抜いてもらって車椅子で病棟に帰ってきました。
病棟の部屋に着いたら酸素吸入を終了。

尿道カテーテルも抜いてもらい、看護師さんに見守られながらよちよち歩いてトイレへ。
足取りが確かだとお墨付きをもらい、1人でトイレOKに。
術後は体に溜まった水分を外に出すことが大切で、利尿剤を使ってどんどん出す!という感じ。水分の出納は毎回メモ。
傷に直接持続的に入っていた痛み止めが終わり内服のみになったこの頃が一番痛い時期でもありました。痛みに悶絶しながら迫りくる尿意に焦らされながら、何度も何度もよちよちトイレと部屋を往復しました。
このよちよち歩行が一番のリハビリになったような気がします。

夕方になって3つ入っていたドレーンを抜いてもらいました。(心嚢、胸腔、皮下 だったかな?)
痛かったけど、一番邪魔だったものが抜けて気分もスッキリ。
帰室した日のうちに点滴と心電図モニターだけになりました。


ICU、HCUには私物は指定されたわずかなものしか持ち込めないので、ここで夫にまたいろいろ持ってきてもらい、LINEしたり音楽聴いたり動画見たり本読んだりできるようになりました。
本は全然進みませんでしたが、友人とめちゃくちゃLINEしました。

病棟に戻ると、やっと傾眠状態からも完全に脱してスッキリ。
スッキリ確かな意識で、痛みに悶絶しながら過ごす1週間という感じでした。

横になる/体を起こす動作やしつこい咳で(おそらく胸骨の)痛みに悶絶しつつ、毎日、昨日よりはたくさん食べよう!と食事の量も増やす努力をしました。ホントに一口二口しか食べれらなかったのが、少しずつ食べられるようになりそれに伴い点滴の量も減り数日後には終了。

この頃はICUでの赤ちゃんがめきめき成長していくような感覚とひと続きに感じられ、しんどいながらモチベーションも自信も保たれて充実感がありました。






そして。
私はずっとチアノーゼがあって、酸素(経皮的動脈血酸素濃度、SpO2、サチュレーション)は80%前後でした。(術前は77%ほど)(正常は96%以上、普通の人は95%くらいに下がると苦しさを感じるそうです。)
まあずっと低いので日常的に苦しいということはありませんでした。
長年の低酸素で全身に影響があり(術前にカテ治療をした側副血管もこの影響でできたものです)酸素が上がったほうが良いのはもちろんなのですが、そういう医学的なことよりも、私は爪がピンクになったらどんなにすばらしいことでしょう…という憧れのような気持ちが強かったです。パルスオキシメーターで90%以上の数字が出たら感動するだろうなぁ…と。

それがオペしたことで現実になりました。
術後酸素吸入無しでも93%くらいになったのです。
毎日測るごとに 「おお♪すごい〜」という感じ。
正直爪の色はキラキラの淡いピンク!とはなりませんでしたが、それでも今までとは確実に違う。手を洗った後って爪の色が濃くなりますよね?(なんでだろう)その色にウットリしながら自分の爪をいちいち確認しました。

時期はだいぶ後のことになりますが、一番感動したのはシャワー後のほてった顔です。
ほてって頬がほんのりピンク色をしている!!!!
今まではほてると白っぽい紫みたいな色になっていたので、この赤みのさした頬にすごく感動しました。


この酸素濃度急上昇により、私の気持ちは暴走しました。
住む世界がガラッと変わったように思えてとまらなくなりました。

やばい、どうしよう、私もうなんでも出来そう!!!
今まで出来なかったアレもコレも!今ならなんでも出来そう!!
仕事バリバリして家事もバリバリして、趣味もガッツリ!高尾山にも登れるかも…!!

こんな全能感が溢れ出てとまらない。
やばい、私とまらないかも…誰かとめてーーー! まで行きました(笑)


実際には酸素が上がった実感は特に感じられるわけでもなかったのに。
数字とピンク色の魔力にやられた私でした。




この後、全能感はポッキリと折られることになるのですが、その話はまた別の記事で。




でもでも、今もまだやっぱり90%台の世界にいちいち喜んでいる私です。
化粧がよく乗るんだ🎶

プラセボじゃないの? ボソッ)








※この記事の内容、ちょっと誤解を招きそうな書き方になってしまった事がずっと気になっておりまして、ちょこっと補足というか言い訳書かせていただきました。よかったら読んでね。(2021.5追記)
harapekoikko.hatenablog.com

手術〜ICU

昨年末に心臓手術(TCPC conversion およびペースメーカー埋め込み術)をしました。
子どもの頃にフォンタン手術(APCフォンタン)を行いましたが、長年の蓄積でいろいろと不都合が出てきていたので再手術です。
先天性心疾患の手術をするには私は高齢の部類に入るので、まだ元気な今がラストチャンス!といった感じでもありました。


数回に分けて今回の手術の経過や感じていたことを記事にしていきます。
お付き合いいただけるとうれしいですが、最初の記事から思いのほか長くなってしまったので、無理せず離脱自由な感じで読んでいただけたらと思います。







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術前はそこまで緊張することもなく、睡眠剤をもらうこともなく。(ヒマだった笑)
怖くないの?と言う友人もいましたが、何をどう怖がればいいのか私にはイマイチわかりませんでした。
逆に怖がったりせずふわふわと当日を迎えて、私こんなんで大丈夫なんだろうか?何かやり残していないだろうか?と不安になったりしました。

当日朝、術衣に着替えて抗生剤の予防投与の点滴を落としていると夫と両親が来てくれました。
いつも思うんですけど、始まってしまえば本人は何も感じないわけで、長々と待つ側が一番大変ですよね。どれだけ心配してもできることはないし。
(外で)やることがない時間が続くのが苦手なので、オペ待機は私には本当につらいだろうと思います。


手術室へは看護師さんと歩いて行き、準備室?みたいなところで麻酔科の先生や執刀医の1人やオペ室の看護師さんが迎えてくれました。
そこで座って本人確認と同意書確認。
同意書を見て今日の手術の内容を音読するよう言われました。

その後手術室に入って手術台へゴロン。
最近の手術台はとても良くなっているとどこかで目にしていたので、ゴロンとしてみて、おお〜確かに!と思いました。
上に引いたパッドなど込みでフッカフカでした。
まあ狭いんで、寝心地が良いとは言えませんが。
同時にそこに来て改めてリアルに手術するんだなぁと感じました。
あーここで切り貼りされるんだなぁという感じでしょうか。

ゴロンすると血圧計やらパルスオキシメーターやら付けられて、麻酔科の先生が手首の動脈をエコーで診始めました。
リアルタイムで動脈圧を測定するため手首の動脈を穿刺するとのこと。
同時に酸素マスクがフワッと載せられます。
私の手首の動脈は細いらしく、先生は迷いながら左右エコーして、「やっぱり右にしよう」と決まったらしいところで私の記憶はプツッと途切れました。
点滴のルートから麻酔薬を入れていたと思うんですが、いつ入れたのかわからなかったです。
鎮静だと効いてきてぐわん!ってなって落ちる感じなんですが、麻酔はそんな前兆を感じる隙もなく意識がなくなりました。
幽体離脱して自分のオペを見たいなぁと思っていたのですが、全くそんな余地はありませんでしたね。離脱するその幽体が気を失っているんですから…笑。



目が覚めるとベッドに寝ていてICUだとわかりました。
暗かったので「今、夜ですか?」と看護師さんに聞いて「そう。夜だよ。」と返事をもらい、あー早く終わって早く目覚めたんだなぁと思いました。
手術時間は8時間〜、麻酔から覚ますのは翌日と聞いていたのです。実際にも8時間ちょっとかかったようですが、なんとなくすごく順調に終わったのだなぁと感じました。目を覚ましたのが当日か日をまたいで翌日かはわかりませんが。
そして目が覚めたときには人工呼吸器が入っていると聞いていたのですが、入っていませんでした。
一度目が覚めて人工呼吸器を抜いたようですが、そこの記憶は全くありません。
人工呼吸器抜管のときの様子を後から外来の主治医が教えてくれました。
主治医は循環器小児科(外科ではなく内科)なのでオペには直接は関わっていないのに、気にしてくれて様子を見にきてくれたことがすごくうれしかったです。

ICUでは何がつらいのか訳がわからないのですが身の置き所がないような感じで何かが苦痛で、あーーなんでオペなんてすることにしちゃったんだろう…とわかりやすく後悔したりしました。
嘔気嘔吐は私は軽い方でしたが塩気の味(普通のご飯やおかず)を全く受けつけなくて、お茶とデザートについているフルーツやジョアなどだけ食べていました。
人工呼吸器や経食道心エコーなどの管の影響か、物を飲み込むのがしづらく大きめの錠剤を飲むのが大変でした。
痛みはそこまでではないかな?と思ったくらいでしたが、レントゲン撮影のための板を背中に入れるとか枕を頭の下に入れるなどの動作に悶絶。そして一番は咳で、咳には最後まで悩まされました。

私が一番つらかったのは、ぼーっとしてしまって気を抜くとすぐに寝てしまうことでした。
傾眠状態のような感じで、起きていたいのに意識がどっかにいってしまうのです。
刺激しようと思ってTVを見ても何も入ってこないし疲れるだけ、気分も悪くなって無理でした。(ICUのベッドからは歯医者さんにあるような小さなTVが見られるようになっていました。)
起きているのもつらいし、でも1日中寝ているようではダメだし…と、自分の中でせめぎ合っていました。


そんな中でも知った先生が何人も様子を見に来てくれて、皆に元気だ順調だと言われ、その気になって元気づけられつつ過ごしました。
そして無数についている管が少しづつどんどんと抜けていってどんどん身軽になっていく感覚、毎日どこかが昨日より確実に良いという感覚はなかなかダイナミックで外科手術後の醍醐味(?)のような気がしました。
こんな感覚は日常では味わえませんから。



そんなおかげで ICUでは1日半、その後HCU(準集中治療室)では丸1日を過ごした後、病棟に戻りました。順調過ぎるほどの経過を過ごせてとてもありがたかったです。
オペが大きな問題なく進み人工心肺を回した時間が短かったことが、回復が早い理由でもあるようでした。

2020ゆる正月

あけましておめでとうございます。
2020年は母おせちで幕開けです。

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ドドン

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全部手作りです


母は元々しっかり料理する人なのですが、共同経営で配食サービスの仕事をしているので、よりキッチリした豪華なおせちでした。
(配食サービスでのおせちの提供は数年前に終了したので、こちらは母のプライベートなおせちです。)
ちなみにお煮しめに絹さやを散らすのを忘れたそうです。銀杏で満足しちゃったとのこと、わかる気がします。
毎年私なりに品数が少ないながらもおせちを作っていたのですが、今年は術後間もないという言い訳のもと大幅におサボり。(実際体力的に無理がありました。料理ってけっこう体力使いますねー。)
私がちゃんとおサボりできるように、母が作ってウチに届けてくれました。
ありがたや〜

お雑煮は地味な東京風です。
いつもは元旦は白味噌に丸もちの関西風(母が関西なので)、2、3日はかまぼこ鶏肉小松菜の東京風にしています。
今年は関西風を省略。お正月の後どうしても白味噌が余ってしまうんですよね…。
でも私は白味噌のお雑煮食べないとお正月の気分が出ないので、来年はまた作ろうと思います。



そして私の方は甘いものをほんの少し作りました。

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田作り

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栗きんとん

それと黒豆。

そしてお煮しめの人参や蓮根の飾り切りが一番好きと言っても過言ではないのですが、今年は省略に省略でお煮しめですらなく筑前煮を作りました。
大量にできた。。


母から豪華おせちをいただいておいて、義父には私のしょぼしょぼ4品を持っていく予定です。
海老とかも簡単なのにがんばれなかった…。

まあ今年はこんな感じで許してもらおうと思います。



***




術後これまでシャワーのみだったのですが年が明けたらお風呂に入っていいとのことで、昨日は昼間からワクワクしながらのんびり入浴しました。
1ヶ月ぶりのお風呂は気持ちよかったです〜。

で、術前に友人にもらった昆虫バスボールをはりきって入れたのですが…


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お目当てのゲンゴロウが出てきました!!
他はカブトムシ、クワガタ、ナナホシテントウ、キアゲハだったかな?
水の中に出てくるんだから、水生昆虫一択ですよね!

今年は大吉だ!!!




そんなゆるいお正月。
今日は義父の家へチラリと訪れます。




今年はブログにしたいワクワクがたくさんの年になりますように。


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感慨にたどりつかずとも

しばらくぶりになりました。

12月の頭に心臓手術をした訳ですが、
実は先週とっくに退院しておりました。


いくつか理由があってなかなかブログに向かう気になりませんでした。


・手術前後のいろいろを自分の中で整理しきれていない
・退院前後のいろいろを自分の中で整理しきれていない
・うれしく感動したことと、がっかりしたりショックだったことがあり、未だ反芻中である
・次の外来で主治医と話していろいろ再確認し納得したいので未だ宙ぶらりん感がある
・それらもわざわざこんなところに書き記すほどのことなのか?なんて思ったり
・楽しい写真を撮ったり面白い本を読んだりちょっと気合を入れた料理を作ったりが全然ない日々

などなど。。


でも今日書き出してみたらなんだかいろいろ出てきそうだし書くことで整理もできそうなので、少しづつ記事にしていければと思っています。
誰の役にも立たないと思いますが。



マイナスっぽいことも書きましたが、
基本的に経過は超良好で気分も上がってきています。
以前と同じようにサボりながら家事もしています。
今日は夫ががんばっていた大掃除にもちょっとだけ手を出しました。

おせちは黒豆と栗きんとんだけでも作ろうと思います。
あとお雑煮。
お煮しめは…材料を生協で頼んでしまったのですが、、断念するかもしれません。
がんばれたら作ります。





今年はまぁ私にとってはいろいろあって、たくさんの人に助けられて、それでも孤独を感じてしまう時もあったりしました。
人生いろんなことがあるのは当たり前でもっと大変で悩んでいる人もたくさんいるし、何か特別な年だったとは思いませんが、まぁまぁ今年は少し動いた年だったような気がします。
私にとって今年は『暇』『待った』『ひとり』という感じでした。

それでも今年のうちに大きなイベントが無事に済んだことはとてもよかった。

術後の出来事をひとことで言うと、浮き足立っていたところを強制的に落とされたようなものでした。(叩きつけられたり埋められた訳ではないです。)
なのでしっかり地に足つけて、現実的に、がんばっていけると思います。

来年は今年とは違う意味で、新たに動く年にしたいです。





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サボりのお供はいつでもスタンバイしてくれています

緊褌一番ではありませんでした

 

 

 

T字帯という名のふんどししめて、緊褌一番でオペに挑もうとしていたわけです。

 

が、実際には緊褌一番では全くなく。

マキシ丈ワンピースのような術衣を上半身は素肌に、下半身はパンツもパジャマのズボンも履いたままで。

どうせ素っ裸にするのに、そんな下着は必要無かったようです(笑)

ICUではオムツ。

 

 

という全くわけのわからない話ですが、緊褌一番じゃ無かったことがおもしろかったのでお伝えしました。

 

昨日一般病棟に戻ってこれました。

もう少し気力を養ってから、いろいろ読んだり考えたりしたいと思います。

 

 

 

最後の晩餐と怒り猫②

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T字帯と緊褌一番

闘病ブログを書く気は無いとかっこつけたくせに、病気関連ネタばかりで申し訳ない。
誰にどう申し訳ないのか意味がわからないですが。
まあしょうがないので書きたいこと書きます。





T字帯って知ってますか?
こんなやつです。

白十字 T字帯 1号 30cm×90cm 3枚合わせ

白十字 T字帯 1号 30cm×90cm 3枚合わせ

出産の時にも使うのかな?

これカテとかオペとかの時につけるんですが、まあ、言ってしまえば “ふんどし” なんですよね。
前々回のカテ準備でこれをつけている時、夫が声もかけずカーテン開けて入ってきやがって(笑)
「なんだそれフンドシじゃん!!」と指差して笑ったんですよ。
知ってるよ。ふんどしだもん。

何度つけてもなかなか恥ずかしいものです。
すぐ外されること込みで恥ずかしいのかもしれませんが。





で、思い出した言葉があって。

緊褌一番

ってご存知ですか?

私はこの言葉、おたんこナース で知りました。

おたんこナース (1) (Spirits healthcare comics)

おたんこナース (1) (Spirits healthcare comics)


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「資格職だから食いっぱぐれない」という理由で看護師を目指した似鳥ユキエの受験生の時の座右の銘(?)。
キンコンイチバン ってなんか音もおもしろいし、“褌(ふんどし)をかたくしめて奮発して物事にあたること” ってなんだそれ。ふんどし締める=気合いって…ピンと来るような来ないような。。
そしてこんな言葉を座右の銘にしていたユキエのユキエらしさといったら。
佐々木倫子先生の世界観にやられています。)

と、初めてこの漫画を読んだ当時 中学生だった私にはかなり印象深かったのです。

そういえば当時長期入院中だった私の読んでいたおたんこナースがその病院の看護師さんたちの間で大流行しました。今誰が持ってるんだかわかんなくなるくらいみなさんで回し読みされ、帰ってきた時にはちょっとボロくなっていたのもいい思い出です。







キンコンイチバン
キンコンイチバン…


その後おたんこナース以外でこの言葉を目にすることはありませんでした。
それでも、いつか使ってみたいけど使う場面がわからない言葉として無駄に私の脳に居座り続けました。






褌を固く締めて…



ん?

もうすぐまた、ふんどしをしめる場面がやってまいります。

30年ぶりの心臓外科手術。
それこそ緊褌一番ではないですか!!!


やったぁ。

緊褌一番だ!!!


T字帯という名のふんどしは今年4回目になっちゃいましたが、
次がまさに大一番に違いないはず。




緊褌一番を唱えながら(?)T字帯に気合を込めて、挑んでこようと思います。