それで終わりじゃないでしょ

はらぺこあおむしのごとき私の齧り跡を並べています

術後①全能感がとまらない

つづきです。

harapekoikko.hatenablog.com






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HCUで管類はほぼほぼ抜いてもらって車椅子で病棟に帰ってきました。
病棟の部屋に着いたら酸素吸入を終了。

尿道カテーテルも抜いてもらい、看護師さんに見守られながらよちよち歩いてトイレへ。
足取りが確かだとお墨付きをもらい、1人でトイレOKに。
術後は体に溜まった水分を外に出すことが大切で、利尿剤を使ってどんどん出す!という感じ。水分の出納は毎回メモ。
傷に直接持続的に入っていた痛み止めが終わり内服のみになったこの頃が一番痛い時期でもありました。痛みに悶絶しながら迫りくる尿意に焦らされながら、何度も何度もよちよちトイレと部屋を往復しました。
このよちよち歩行が一番のリハビリになったような気がします。

夕方になって3つ入っていたドレーンを抜いてもらいました。(心嚢、胸腔、皮下 だったかな?)
痛かったけど、一番邪魔だったものが抜けて気分もスッキリ。
帰室した日のうちに点滴と心電図モニターだけになりました。


ICU、HCUには私物は指定されたわずかなものしか持ち込めないので、ここで夫にまたいろいろ持ってきてもらい、LINEしたり音楽聴いたり動画見たり本読んだりできるようになりました。
本は全然進みませんでしたが、友人とめちゃくちゃLINEしました。

病棟に戻ると、やっと傾眠状態からも完全に脱してスッキリ。
スッキリ確かな意識で、痛みに悶絶しながら過ごす1週間という感じでした。

横になる/体を起こす動作やしつこい咳で(おそらく胸骨の)痛みに悶絶しつつ、毎日、昨日よりはたくさん食べよう!と食事の量も増やす努力をしました。ホントに一口二口しか食べれらなかったのが、少しずつ食べられるようになりそれに伴い点滴の量も減り数日後には終了。

この頃はICUでの赤ちゃんがめきめき成長していくような感覚とひと続きに感じられ、しんどいながらモチベーションも自信も保たれて充実感がありました。






そして。
私はずっとチアノーゼがあって、酸素(経皮的動脈血酸素濃度、SpO2、サチュレーション)は80%前後でした。(術前は77%ほど)(正常は96%以上、普通の人は95%くらいに下がると苦しさを感じるそうです。)
まあずっと低いので日常的に苦しいということはありませんでした。
長年の低酸素で全身に影響があり(術前にカテ治療をした側副血管もこの影響でできたものです)酸素が上がったほうが良いのはもちろんなのですが、そういう医学的なことよりも、私は爪がピンクになったらどんなにすばらしいことでしょう…という憧れのような気持ちが強かったです。パルスオキシメーターで90%以上の数字が出たら感動するだろうなぁ…と。

それがオペしたことで現実になりました。
術後酸素吸入無しでも93%くらいになったのです。
毎日測るごとに 「おお♪すごい〜」という感じ。
正直爪の色はキラキラの淡いピンク!とはなりませんでしたが、それでも今までとは確実に違う。手を洗った後って爪の色が濃くなりますよね?(なんでだろう)その色にウットリしながら自分の爪をいちいち確認しました。

時期はだいぶ後のことになりますが、一番感動したのはシャワー後のほてった顔です。
ほてって頬がほんのりピンク色をしている!!!!
今まではほてると白っぽい紫みたいな色になっていたので、この赤みのさした頬にすごく感動しました。


この酸素濃度急上昇により、私の気持ちは暴走しました。
住む世界がガラッと変わったように思えてとまらなくなりました。

やばい、どうしよう、私もうなんでも出来そう!!!
今まで出来なかったアレもコレも!今ならなんでも出来そう!!
仕事バリバリして家事もバリバリして、趣味もガッツリ!高尾山にも登れるかも…!!

こんな全能感が溢れ出てとまらない。
やばい、私とまらないかも…誰かとめてーーー! まで行きました(笑)


実際には酸素が上がった実感は特に感じられるわけでもなかったのに。
数字とピンク色の魔力にやられた私でした。




この後、全能感はポッキリと折られることになるのですが、その話はまた別の記事で。




でもでも、今もまだやっぱり90%台の世界にいちいち喜んでいる私です。
化粧がよく乗るんだ🎶

プラセボじゃないの? ボソッ)








※この記事の内容、ちょっと誤解を招きそうな書き方になってしまった事がずっと気になっておりまして、ちょこっと補足というか言い訳書かせていただきました。よかったら読んでね。(2021.5追記)
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