それで終わりじゃないでしょ

はらぺこあおむしのごとき私の齧り跡を並べています

学びのこと

待ち遠しかった10月になりました。

今日から放送大学修士選科生です!

放送大学では数年前にも履修していました。
その時は大学の方だったのですが、興味のある科目をとり終わってしまって次は大学院科目を…と思っておりました。(いえ、お金を湯水のよう使えるのならいくらでも“興味のある科目“はとり続けられるのですが。。ひとまず一番勉強したかった科目たちの履修が終わったと申しましょうか、、笑)

ですが興味のある大学院科目はオンライン授業の科目ばかり、私にはほぼ死んでいる上に古すぎてアップデートにも対応していないMacBookが1台あるばかり…。
その頃、体力も落ちてきていて仕事は週2日の超マイペース、、収入も少なくPCを購入する余裕もなく。
お金を貯めていつか絶対!と思っているうちに療養生活に突入しちゃいました。

で、いろいろ済ませて現在再び仕事もし始めましたので、コロナの例の10万円でPCを購入し、この10月から念願かなってまた学ぶことになりました。






***

私は高校を出た後、ある大学の理学部に入学しました。

ですがその頃、私の人生の中でも最も?体調が良くなくて、どうにもこうにも自分でコントロールできなくなっていて。大学の広いキャンパスを歩いて学部まで行くだけで力尽きるような状況で。
実習で裏山に入ったり研究室に通ったり…それがやりたくて入ったはずなのに「歩いて目的地に向かう」ことが辛すぎて、それを取り繕うことばかり考えていて、学問なんて全然できなかったのです。

だけど、子供の頃からずっと「病気があっても人と同じようになんでもできる!」自分が取り柄だと思って生きてきちゃったので、私自身その状況を全く受け入れられなくて、誰にも相談できなくて、、
体調崩して入退院を繰り返し、大学に友達と呼べる人を作ることもできず、
気がつけば大学に向かっても門の前で曲がってスタバに行って時間を潰したりするようになりました。

今考えれば、休学でも何でもして体を整え直してからまた挑めばいいとわかるんです。
ですが、当時の病院は具体的な治療とか解決策を提示してはくれなかった。
そして私自身も自分の状況を認められず、根性でなんとかしようとして、なんとかならずに落ち込んで…という八方塞がりな状況を自分で作ってしまいまして。

若くて未熟だった私、『なんでもできる自分』が大好きだった私は、挫折感に耐えられず、大学を辞めました。


その後紆余曲折したのちに別の大学を出たのですが、
専門職を目指した為、卒業研究とは名ばかり、研究室では資格取得を目指してみんなで勉強していました。
もちろんそれは私の大切な経験で、その専門職についていたことに後悔はありません。

ですが、私の中に「学問してみたかった」という思いがずっと眠っていたのですよね。

ある時パカッと蓋が開いて、自分の好きだったもの、やりたかったことがワッと溢れ出てきました。



そんな訳で、当時やりたかったレベルの学問になんて全く到底及びませんが、
誰の役にも立たないけど、私は私を喜ばせるために勉強をするのです。

おばちゃんになった固い頭ですが当時の自分には見えていなかったものが見える部分もあるかも、と思ったりしています。



今コロナ禍で大学生ばかり割りを食っているようで、ホントに心が痛みます。
だけど、状況に関わらず、学問やりたい気持ちがあれば環境は作れるのかもしれない…そうだといいな、と思います。

もちろん学術を支えるために、社会を支えるために、優秀な学生に恵まれた環境を用意することはホントに大切だと感じています。
だけど、それでも、運悪く環境に恵まれなくても、自分で環境を壊してしまっても、
いつでもやり直せるはずだと信じています。

キャリアとしてやり直せなくても、自分のためにやり直すことは誰にも止めることはできない。
挫折したことがあったって、いつまでも挫折していなくてもいい。
そんなことを考えながら、頑張ってみようかと思っています。






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ムキムキでしょ!?