それで終わりじゃないでしょ

はらぺこあおむしのごとき私の齧り跡を並べています

始まっちゃった時の話②

つづきです。

harapekoikko.hatenablog.com


すごく速い心房細動(最大で200だか210だか出てました)で早く止めた方がいいからこれから電気ショックする、とのこと。2回目で勝手もわかっていたので「ウンウンこの前と一緒ですよね」などと言っていたら、先生から予想外の言葉が出てきました。
「止まっても止まらなくても入院した方がいいと思うんですけど、いいですか?」
「…え?入院…!??」
次の外来まで日数もあるし再発したら危険だし、今の不整脈が止まった後も血栓のリスクが非常に高いためその対策が必要とのこと。突然死の危険があるから…と2回くらい言われました。
私は明日の仕事はお休みもらわなきゃな…くらいには思っていたけど、不意打ちの入院のお勧めに混乱。いや、言っても前回から1か月近く経ってるし、次の外来までもあと1週間ちょっとだよ?そんな再発する?などと思って
「えー…再発しますかね、、?」と疑い顔で言うと
「するかもしれないよね」とめちゃくちゃ真顔で即答されて…わかりましたと言うしかありませんでした。
えー…入院…。。 と思いながら、わなわなしながらなんとか自分で同意書を書いて、その後おねんねさせられて電気ショックしてもらいました。

起きたらエコーされてて、どうやらしっかり止まって血栓も出来てないとのこと。
幸いなことに1回で止まってよかったけど、この速さの脈だと失神する可能性も大きいし、心室性の不整脈に移行する危険がある、との話。。
よく失神せず血栓も作らず来たねー的な感じなようでした。


そしてしぶしぶ入院。
夫には電気ショック終わったら(鎮静の影響でふわふわしてて一人で帰るのは危なっかしいので)迎えに来てもらう予定で、仕事を早めに切り上げて病院に向かってもらっていたのですが、入院を知らせると夫も混乱。それどころか心配が怒りに変わったらしく、なんか怒ってるし(笑)
夫が先生の説明を聞きたい!となんか怒ってるので、お願いして先生に説明してもらったりしました。


この入院のときの先生方とのやりとりはどれもこれも印象的ですごく覚えているのですが、一番心に残っているある先生の言葉があります。
入院したばかりの時のこと。薬を飲み始めてから効き始めるまでにタイムラグがあるので定期的に採血をして効き具合を見て調整していて、先生が
「明後日また採血しますね。」と言ったのですが、仕事のことも気になっていた私には明後日なんて遠すぎて時間の流れが止まってしまったように感じて…
「明後日…」と困惑顔で言ったところ、

先生:「なんで?退屈だから?」
私 :(うなずく)
先生:「そういうわけにはいかないんですよ… そういうわけにはいかないんですよ。。ホントに倒れちゃいますよ。倒れちゃったら、みんな悲しんじゃいますよ。」
私 :「...」
先生:「今回だって、不整脈しんどかったでしょ?」
私 :「うーん..電車で座ってるときは全然大丈夫だったんですけど..乗り換えで歩いてる時とか、やばい…と思いました。」
先生:(うなずく)「だから今は帰ることを考えるんじゃなくて、本を読むとか勉強するとか何かやることを見つけて、しっかり治療していきましょう。」
私 :(言葉が出ない)(うなずく)
先生:「でも早く退院できるといいですね。」

自分のことなのにどこかへらへらしていた私に厳しく言ってくれて、でもすごくすごくやさしくて、、
その日の夜は何度も先生の言葉を思い出して涙があふれてきました。
不整脈は止まってケロリとしているのに病院でじっとしているなんて居たたまれない…と思っていた私ですが、自分で動けるのに何もしていない事≒自分の体をいたわる事に罪悪感をもってしまっているんだなぁとこの時気づきました。
でも自分を大切にしないことが周りの人を悲しませることになるんだ..と、先生の言葉がすごく刺さって、一晩メソメソした後は前向きに受け入れてここを乗り切ろうという勇気が湧いてきました。


結局この入院で、薬の導入・調整といろいろな検査と、カテーテルアブレーションをしました。
カテの結果とこの時の不整脈で、その後の治療方針が一気に決まって(?)アブレーション→カテーテル治療(側副血管コイル塞栓術)→再手術(TCPC conversion)という道のりが示されました。
仕事は…?という私の問いへの主治医の答えは「NO!」。。当時パートタイムで、もちろん非正規雇用だった私には休職という選択肢は無く、ずるずる検討していても私が在籍している以上他の人を雇えなくて困るだろうな、、と思って退職を決めました。
手術するとしても切りのいい時期まで勤めきって”発つ鳥跡を濁さず”で退職しようと思っていたので、緊急入院から出社できなくなりそのまま辞めることになるなんて悲しすぎて…職場の人たちの写真を見てはメソメソしたりしていました(笑)(前向きどこいった?)



そんな感じで私の”療養中”が始まったのでした。

途中、合併症(無自覚)の影響でサクサク進むはずの計画がかなりの足止めをくらったりして、こんなことなら仕事辞めることなかったのかな、、とかいろいろと悩ましくもありましたが、でも無事にすべて済んでまた仕事も始められました。
ホントにいろんな面で私は運が良くて、たくさんの人やたくさんの偶然に助けられて感謝しかないですね。


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