それで終わりじゃないでしょ

はらぺこあおむしのごとき私の齧り跡を並べています

子どもが欲しかった子なし女の話③

つづきです。

harapekoikko.hatenablog.com



しっかり検査した結果やっぱり子どもはダメだとわかって、
それでなくてもこの心臓で今後出てくる問題点をいろいろ聞かされて
”子どもを産まない代わりにバリバリ働いてキャリアを積み上げていく”のも難しそうで、

どっちにしても
「がんばれば人と同じように何でもできる自分」で生きていくのは無理だとわかって。

それは受け入れ難く、
どういう気持ちで何を目指して生きていったらいいのか...
必死で模索しようとしましたが、その不安定な心は妬み嫉みをたくさん生み出しました。


友人・知人の妊娠・出産報告がきつかった。
SNSやメールで、何の心の準備もなく産まれたばかりの赤ちゃんの写真が目に飛び込んでくるのが苦しかった。
年賀状も赤ちゃんの写真、妊婦さんの写真、家族の写真、そして写真がなくてもたくさんの報告と家族の人数が増えていく様を見せつけられるようだった。

電車で妊婦さんや赤ちゃん連れを見るのもしんどかった。
マタニティマークを見るだけでも心に負担があった。
身体がきつくてもマタニティマークの人に席を譲るのも、何とも言えない気持ちだった。
電車の中で大きなおなかをずーっと大事そうになでなでさすっている妊婦さんがいて、ずーっとその気配から逃れられなくて泣きたくなった。

姉の妊娠・出産もきつかった。
カテの結果などを両親にも話さないと…と思っているうちに姉が妊娠して、、話すタイミングを逃していた。
つわりがひどくて実家に帰った姉に「あんたの部屋を使わせてあげていいか?」と母から言われて、いろいろ爆発してしまって母に当たってしまった..。
姉が自然にやっている”親に頼る”のも”出産する”のも、私ができないでいるのに、その上私の部屋まで使うのか、、それを母が私に言うのか、、と思ってしまって。
だけど父から叱られるだけだった。


そしてそして、
そんなことを思ってしまう自分が本当に嫌だった。
素直に心からおめでとうと言えない自分、いちいち引っかかってしまう自分はなんて心が狭いのか、小さいのか、汚い人間なのかと。
周りの人のおめでたい出来事に傷ついてしまう自分であるという事に、一番傷ついていたと思う。




ホントは心のどこかでは、
妊娠しちゃえば後はなんとかなるんじゃないか?っていう気持ちもあった。
(もちろんフォンタン後でチアノーゼな私が簡単に妊娠できるはずはないんだけども。)
だけど、どうあがいたって私にはこれからも医療が必要で。
あんなにしっかり調べてくれて、私のことを考えてくれた病院の先生方の話を受け止めずに勝手なことをしたとして、
絶対にそんな患者とは信頼関係を作れないと思うし、私が医師だったらそんな患者の生死を預かれない。。

そんなことを考えた時、
私は子どもを「産めない」じゃなくて「産まない」を自分で選択しようと思いました。

「産めなかった」という被害者的な人間として生きるのをやめようと思いました。


それは結果的に、「妊娠出産に耐えられない心臓」をもって生まれた自分を、
そのまま受け入れて生きることにつながっていました。



そんなこんなで
私が「がんばる自分」「人並な自分」「なんでもできる自分」とかいう条件付きの自分じゃなくて、ただのそのままの自分で生きるきっかけになったのは、
「子どもが欲しい」と思った気持ちでした。

だって子どもが欲しいと思わなければ、ちゃんと通院することもちゃんと検査することも病気と向き合うこともなく、あのまま日々に追われていたでしょう。
そしてあるところでバタッと倒れて多くのものを失っていたかもしれません。


だから子どもが欲しかった気持ちはずっと否定しません。
今でも欲しいよ。
だって、私と夫はあまりにも違って。子どもが生まれたら絶対めちゃくちゃかわいいはずなんです!(笑)



だけど、子どもがいない自分でも胸を張って生きる。
残念だけど。残念だと思いながら今を楽しく生きる。
夫には申し訳ない気持ちもあるけれど、
特別養子縁組とか里親とかそういう選択肢もあるうえで二人で選んだ今なのです。
(実際にはそこにも健康が絡んでくるのよね、世知辛い…とはいえ子どもの福祉のためには親の健康も大切だよね。。)




というわけで、
長かった割には何か特別なきっかけとか素敵なストーリーもオチも何もないおハナシでした。

ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました。





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🐱アタシのことをお忘れじゃありませんか?


あ、そいえばコドモ居たわ(笑)