それで終わりじゃないでしょ

はらぺこあおむしのごとき私の齧り跡を並べています

病んでるわけではないけれど

新型肺炎についての情報に接していると、“ヒトが多過ぎなんだよなぁ 集まり過ぎなんだよなぁ 行き交い過ぎなんだよなぁ…” と思ってしまいます。ウイルスが人間の現代社会の構造に取り込まれてしまったのだな、と。社会のあり方を考え直せという警告のように感じられてしまいます。

だけど、都心の大病院に生かされている私がそんなこと思う権利はないような気がして。
自分は現代社会の恩恵のうえに存在するのに軽々とその構造を批判するのはどうなのか。

こういう時いつも、元気で生きている自分に罪悪感。医療資源をたくさん消費してまで、なんで私生きているんだっけ??と。
私なんてポックリしてしまったほうが医療のためにも環境のためにもなるはずなのに。こんなにコストをかけて生きる意味ってなんだっけ??と。

私は子どももいないですし、「どうしてもこの子の成長を見届けるまでは死ねない!」というような切実な生への執着も無いので、ついついこういうことを考えてしまいます。



そうは言っても病んでるわけでは全然無くて、そんなことを考えながらポテトチップスをぼりぼり貪りながら猫をいじくっていたりするのです。
そしてちゃっかり医療技術と社会制度に助けられてのうのうと生きているのです。





若い頃の私は自分の中の矛盾を許せなくて、いろいろなことに独自の理屈をつけて自分を説得しながら生きてきました。はたから見れば理論破綻しまくりの自己欺瞞に過ぎませんでしたが。

葛藤の末そもそも自分は矛盾した存在なのだということを受け入れてから、とてもラクになりました。
だけどそのラクに逃げて厄介なことや不都合なことを考えるのを避けるのは、私のやりたいことじゃない。とはいえ全てに深刻に向き合っていたら持たないし、そもそもふざけた日常が好きなだらしない人間でしかないし。

清濁飲み込んで、私は私にできることを探してやるしかないですよね。
罪を感じたところで誰の役にも立ちませんから。


ま、とりあえず今は家事やれよって感じですね。






変なひとりごと書いてしまったので、最高に上がる曲でお口直しを。
私、こういうかっこいいおじさんになりたい…!(叶わぬ願い🙍‍♀️)


宮本浩次-ハレルヤ

ドラマは見ていません。