それで終わりじゃないでしょ

はらぺこあおむしのごとき私の齧り跡を並べています

NHK全国俳句大会

昨日は第21回NHK全国俳句大会へ行ってまいりました。
投句した1人につき2人まで無料で観覧できるので、母に便乗してちゃっかりと。
会場はNHKホールです。


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舞台上には選者の先生方と特選に選ばれた句の作者さん方がずらり。
俳句は“語り過ぎない”ものだと思うのですが、選者も作者もとうとうと語る語る!皆さん堂々とされているなぁと小心者の母娘は遠くから眺めていました。
で、時間も押してなかなか長く疲れましたが、結構楽しかったです。


“コンクールなどで入賞した作品ももちろんいいものだけど、落選した多くの作品もそれぞれの作者本人にとって同じように大切なものであるから、自分の言いたいことを句にすることを楽しめばよい。” というような話があり、入選止まりでがっかりしていた母は喜んでいました。

選者が好みそうな句を器用に作るよりも、自分の見た光景や感じた肌ざわりなどをどうにか17音にまとめてつなぎとめることの方がはるかに自分を慈しむ行為のように感じます。

なーんて。小娘がなにやら語ってしまいました(笑)



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こちらの入選作品集に母の俳句もちっちゃーい字で載っています。
私はこれでいろんな俳句を読んで勉強しようと思います。

帰ってから、以前うまく句にできなかったお気に入りの光景を思い出し、一句つくりました。
以前はいろいろ詰め込もうとしてうまくいかなかったそれを、よりシンプルに詠めたと自己満足しています。

もっと素直にシンプルに自然体で句にしてみよう!というのが私の昨日の収穫です。
何も知らないので少しちゃんと勉強しなければ!と対になっていますが。



久しぶりに母娘で出かけられたのも楽しかったです。
母はかなり冷めていて、「harapekoikkoが一緒に行くって言わなかったら来なかったわ」と言っていました。私も一人ではわざわざ出かけなかっただろうと思います。
人に引っ張られて出かけるのもいいものですよね。

おせちになれなかった海老のゆくえ

昨日は海老を塩焼きにしてみました。

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おせちの1品にする予定で買ったまま料理できずに冷凍庫で眠っていた海老さんです。

おせちとしては酒蒸しにしようと思っていました。
一番簡単だから。

時期を逃したのでホントはエビフライか天ぷらがよさそうと思いつつ、揚げ物をしたくないので言い訳考えてました。頭と殻取っちゃうのがもったいない!とか。



結局やっぱり酒蒸しかなぁと思いつつ解凍すると、パッケージに塩焼きの仕方が載っていたので便乗。魚焼きグリルで焼いてみました。香ばしくて味が濃くておいしかったです。

串を刺したのもパッケージにご教示いただいたからです。
“串をまっすぐ刺す” と言われたままに刺してみました。(まっすぐかどうかは…心の目で見てください笑)
おせちの海老は “腰が曲がるまで長生きできるように” との願いを込めての字にしますよね。
コチラ対照的になかなかワイルドな仕上がりになりました。

お腹のところにハサミを入れるのを忘れてしまって、ちょっと殻が剥きにくく食べづらかったです。。 ま、ワイルド仕様ということで。




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切るだけ、焼くだけ、茹でるだけ、、の夕ご飯です。
料理欲はあるのですが、基本的にセンスがありません。
作り置きなども性格に合わなくてできません。

幸いなことになんでもおいしく食べてくれる夫なので、これからも安心して『だけだけおかず』を食卓に並べようと思います。







くるり - 琥珀色の街、上海蟹の朝
甲殻類つながり

ペースメーカーに名前をつける

友人がおもしろいことを言いました。

このペースメーカーがこれからharapekoikkoを守ってくれるんだからさ、仲良くしなきゃね。
名前つけた方がいいんじゃない?


ほう。
そんな発想はなかったけど、たしかにずっとこの子に指示出されて走ったら止めてもらうんだもんな…。
それにおもしろそう!


友人はその後何やら勝手に名前つけて呼んでましたが(「くろまる」だっけ??なんだっけ?)、どうせなら自分で命名しようと思い考えてみました。



・みーちゃん (ウチの猫の愛称がまーちゃんなので)

・豆ちゃん (豆みたいな形だから)
・まめこ
・まめ太郎

・めばえ (豆からリードが出てて生えてきたみたいだから)

・主任 (逐一指示と修正してくるから)



あといくつか考えただろうか…







しっくりこないのでもう一度形から考えることに。

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こんなの
日本メドトロニック,Reactive ATP機能を持つデュアルチャンバペースメーカを対象とした機能区分が新設 -チャレンジ申請初の適用-よりお借りしました








あ。
クラミドモナスみたい。

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コレ
CHLAMYDOMONAS FLAGELLA AND PHOTOBEHAVIORS | Hisabori-Wakabayashi Laboratory at CLS, Tokyo Tech. / 東京工業大学科学技術創成研究院化学生命科学研究所 久堀・若林研究室よりお借りしました








クラミドモナス…
クラミドモナス…






クラミドモナスのクララちゃん!!!



というわけで、私の腹部に埋め込まれたペースメーカーはクララちゃんになりました。

うん、愛着が湧いてきた(笑)





何年後かわからないけど、電池交換(といっても本体丸ごと交換します)の時にはまた2代目のお名前考える楽しみもできました。



次会った時に友人に報告しようっと♪

食べておしゃべりできればもう

本格的に行動開始したくてうずうずしています。
しかし自分の都合では準備できないものがあり、しばし待ちの時期です。

私今まで割と強引に力づくで進みたい方へ動いてきました。
自分の中の謎理論により謎の計画性と実行力でやってきたところがあります。前進するときだけでなく、逃げるときも。
その強引さゆえにいろいろと歪みが生まれて、その自分で作った歪みに人知れず脅かされて苦しんだり…という一人相撲が得意でした。

さすがにいい年になっていろいろ経験して学んできた結果、今もどかしくても機が熟すのを待つ方が得策だ、と焦って変な動きを始めてしまいそうな自分をなだめつつ過ごしています。


暇だからといって家でクサクサしていてもしょうがないので、積極的に外に出る機会を作って動くようにしています。
1人だけの計画は雨や寒さに負けがちなので、人に会う日もちりばめて手帳を見てはニヤニヤ。
キャンセルするときはドタキャンにしてね!と友人にお願いしています。
家を出てしまえばこっちのもんです!(笑)






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ずっと行きたかったインドカレー屋さんでマトンカレーを食べてみたり

マトンカレーが一番好きです。マトンキーマが食べたかったけど期間限定のようでした。
カレー2種選べるセットを頼む人が多いようで夫もそうしていましたが、私は2つの味に頭が混乱しているうちにお腹だけいっぱいになってしまうので単品派です。
それでもボリュームたっぷりで夫に手伝ってもらいました。

キーマカレーもラッサムスープもおいしそうだからまた行きたいです。
今度はランチで1人飯するぞー!







昨日は友人と夜ごはんを食べてきました。

人とおしゃべりできるのがうれしすぎたようで、声がでかいと言われちゃいました。
心配してくれて、たくさん話を聞いてくれて、ホントにありがたい。
そして「よくがんばったね〜」「(ここ数ヶ月のことだけでなく)今までよくがんばって生きてきたね〜」なんていっぱいねぎらってもらっちゃって。
くすぐったいけどすごくすごくうれしくて、あー私ってまだまだお子ちゃまだなぁと思ったりしました。
友人もいろいろ話してくれて、ちょっと深い話になったりもしました。


私はいろんな人に支えてもらってるけど、私も誰かの支えになれるのだろうか??
だけどコレ思いすぎるとただの押し付けがましい自己満足になってしまう気がして。
“力になりたいなぁ” と同時に “無力だなぁ” もしっかり味わいながら、人と一緒にいたいと思ったりしています。







全然関係ありませんが、先日夫とタコパしたら楽しかった。

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結構まんまるにできた気がします

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青のりかけ過ぎたー


家で作ったにしてはなかなかのおいしさで、このたこ焼きなら「結局銀だこの方がうまい」と言えない出来栄えじゃない?などと自画自賛しながらハフハフ食べました。





東京03 - 「蓄積」 / 『第18回東京03単独公演 「明日の風に吹かれないで」』より [English subtitles/中文字幕]

「結局銀だこの方がうまいからだよー!」の出典はコチラです(笑) 1月いっぱいで非公開になるかも。




なんだかよくわからない、どこにも着地しない雑記になりました。

術後④水たまり〜退院

つづきです。

harapekoikko.hatenablog.com


もどかしくリハビリしながら頻拍と格闘しながらも着々と退院へ近づいていきました。
術後安定してきた頃にエコーとCTをして評価、それが済めばその翌日か2日後くらいには退院になることが多いようです。
が、私はエコーCT後1週間かかりました。まあエコーCTまでが早かったのですがね。


じりじり私の退院を伸ばしていたのは、なかなか引かない炎症と胸水でした。
オペの影響で術後は炎症反応が起こるのですが感染などなければ時間とともに引いてきます。私も感染などはなかったので徐々に下がってきたのですがそのスピードがのろのろでした。
痛み止めとして飲んでいた解熱鎮静剤のおかげで何もないように過ごせていましたが、術後かなりの期間微熱が続きました。痛み止めが切れる深夜〜朝が一番体調悪かったですね。もはや痛み止めというより解熱剤として重宝していました。(低体温人間なので熱に弱くて…笑)

そして術後ずっと出納記録と体重測定で管理していた体の水分。利尿剤でどんどん出して体重を減らしたいのですが、あるところで減り止まってしまいしばらくすると日に日に増えてくるように。夜間多尿になり深夜や早朝にトイレの鏡で見る自分の顔がむくんでいつもの2倍くらいに見えて、ひどすぎるーー!!と日々恐れおののいていました。
さすがにちょっと見たことのない体重になり不安になり、主治医がいる日だったので「こんなに増えてるんですけどー!いいんですか??」と訴えてみると、驚いてレントゲンを確認してくれたところ胸水が増えているとのこと。(え、せっかく撮ったレントゲン見てなかったの??)
そこで利尿剤を増やしてくれました。
新たに処方してもらった利尿剤はすごかった…。帰室してすぐの頃に匹敵するほど頻回で、しかも量が多い。ちょっと水分が抜けすぎて脱水気味でヘロヘロになるくらいでした。

それでも体重は思うように減りきらず胸水もそんなに変わらなかったのですが、病棟内でインフルエンザが発生。炎症は下がったので、家にいた方が安全ということで半ば追い出される形で退院してきました。


退院日には処方が遅かったのか看護師さんが忙しくて後回しだったのかわかりませんが、夫とひたすらずっと薬を待たされて帰れなくてグッタリ。むしろその日こそベッドで休みたいくらい疲れました(精神的にも)。



帰りの車で、もう水分の記録もいらないし!と思う存分がぶ飲みしてたらお腹を下しました(笑)
入院中にあれ食べたいこれ食べたいと食への執着ばっかり大きくなってしまって、でも食べれる量は減っていて、それに加えてお腹が機能してくれなかったので、退院直後は大変もどかしい日々を過ごしました。

体力?体調?もまだうまく調整できず、“病院でほぼじっとしていて面会の数時間「元気だよー」と見せる顔”とは違う顔を見せることも多く、そのことに夫が戸惑いイライラ!私もそれに対してイライラ!!ということもありました。
“体調が悪い私は目障りでしかないんかい!!”と悲しくなって喧嘩したり。
いっぱい感謝しているのですが。





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退院日にコメダのアイスココアがどうしても飲みたくて、お腹ぴーぴーしながら意地で飲みました




そんな感じで入院生活の後半〜退院直後はもどかしいことが多く、手術が無事に済んで状況がだいぶ改善されたことを実感して感慨にふけるというような余裕が全然ありませんでした。
それでも(私の気分は下がり気味にはなったものの)全能感〜♪と浮き足立ったまま退院してくるよりは良かったのだと思います。
これからは現実をしっかり生きていかなければならないので。(今までも全部現実ですが。。)






***


術後初回の外来で胸水はスッキリ無くなり、利尿剤も漸減中です。

そして先日術後2度目の外来に行って、私は決めました。
もう“療養中”と思うのはやめよう!

まだ仕事を始めるにはもう少し時間がかかりますが、今はただその準備期間なだけで病気療養しているわけではない!!と。


幸運が重なって病気の状況が改善し管理もしやすくなったのだから、これからはしっかり活かして自分の人生楽しんで、そして少しでも社会に貢献したいです。





だらだらと思うままに綴った記録にお付き合いいただき、どうもありがとうございました!!

術後③ペースメーカーと頻拍のお守り

つづきです。

harapekoikko.hatenablog.com





詳しい説明は割愛しますが。
子どもの頃にしたフォンタン手術(APCフォンタン)による循環動態により長年右心房に負荷がかかっていました。そして傷んだ右心房から不整脈が出るようになりました。
今回した TCPC conversionというのは右心房を使わないで下大静脈から肺動脈へ人工血管でつなぐというものです。そこで使わなくなった右心房の壁を一部(先生は大部分と言っていましたがどうなんでしょう?)切り取りました。
右心房というのは心臓の拍動の大元の電気信号をつくる洞結節というところがある場所です。
その右心房を切り取ったため、自分の脈は40bpm(回/分)しか出なくなりました(徐脈)。
これは想定されていたことのようで、ペースメーカー埋め込み術を同時にして対処してもらいました。
(TCPCフォンタンの循環になると解剖学的に開胸手術をせずにはペースメーカーのリードを埋め込めないので、開胸するこの機会に同時にという理由もあります。)

私はペースメーカーを埋め込むことはわかっていましたが、そんなにがっつり使う訳ではないのかなー将来のための意味合いが強いんだろうなーと思っていたのです。
が、術後ICUで初めてのペースメーカーチェックをした時に、自脈が40になったことを聞き「今ほとんどペーシングだよ」と聞き、えー!と軽い驚きがありました。
ちょっとだけ機械に支配されてしまった感…。いえいえ、ありがたいことなのですが。


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私に埋め込まれたペースメーカーは脈のリズムを保つペーシング機能のほかに、抗頻拍ペーシング(ATP)機能がついています。頻拍が出たらそれより速いパルスを出すことで頻拍を止めてくれるそうです。
私の場合は脈を70〜130という設定にしていて、70以下にならないようにペーシング、130以上になったらATPが作動して停止させるという至れり尽くせりな状況に。

私に出ていたのは発作性心房頻拍(粗動、細動)で心室頻拍に比べたら緊急度は低いのですが、フォンタン循環という特殊な循環ゆえ頻拍に弱いということと、心房細動で200以上の脈になったことがありそうなると心室性の不整脈に移行する恐れがあるということで、今回このように大事大事♡にしてくれたようです。

術中に一度頻拍があったそうですが、術後初期は全然無くて、とりあえず今のところATP機能は「お守り」みたいなものだなぁと思っていました。


ところが前回の記事に書いたように、リハビリ後に出ました。
そして翌日の朝体重を測りに行ったらまた出ました。
ちょうどその日にペースメーカーチェックが予定されていて、チェックしてもらったところ頻拍が出てATP作動したのが4回。
術後1ヶ月は出やすいと言われており、まあこんなこともあるよねという感じだったのですが、、
その翌日から3日ほどだったかな?怒涛の頻拍祭りが開催されました。
頻拍が起きてATP作動して止まる、と思ったらまた起きてまた止めてまた起きて止めて…と止めても止めても出てくる頻拍。攻撃しても何度も蘇ってくるゾンビみたいに感じられて、なんだか気持ちがわるかったです。
止まるからいいんだけど、、それにしても脈がバクバクしたり戻ったり忙しくて、ガラにもなくなんだかグッタリ疲れてしまいました。

それでも祭りはだんだんと落ち着いてきて、その頃にまたペースメーカーチェックしてもらうと100回以上出ていたことがわかりました。
あー気のせいじゃなかったーと思いました。病棟のモニターでも確認できているからもちろん気のせいではないのですが、私の感じた忙しさが数字になって出てきてちょっとホッと?しました。
自分の脈が出て期外収縮が起きるとそれが引き金になって頻拍が起こるとのこと。リハビリなどで動き始めて労作が増えたことにより自脈も増え、それによって祭りが開催されていたようです。
そこでペースメーカーの設定を 70〜130 から 80〜130 に変えてもらいました。そして術前に飲んでいた薬の内服も再開。(抗不整脈薬は術後も結構しっかり飲んでいたのですが、なぜか術後β遮断薬は処方されていませんでした。)
80でがっつりペーシングしてくれるので自脈の出る幕が無く、それに伴って頻拍祭りは終わりました。






これが全能感ポッキリのキリの部分です(笑)
今考えると、術後急性期の想定し得たちょっとした出来事のように思えて、これでガックリくるなんて…とやや苦笑い。
ですが、自分の状況の急な変化に戸惑い一喜一憂していました。良い変化(酸素急上昇、循環もおそらく安定)でも、そこに合わせて自分像を確立していくには少し時間がかかるものですよね。



こうして劇的に頻拍が出なくなったのですが、先日外来の帰りに久しぶりに出ました。
外来でいっぱいほめてもらって(いい大人が。私いつも安定しているのでいつもほめてくれるのです。)とても順調!これからもう一段良くなってオペの影響が無くなってきたら今までと違う!って感じると思うよ〜ということで、また全能感復活!!早く仕事ーーー!となっていた帰りでした。

なんだか心が読まれてる?
行き過ぎないように見張ってくれているのかな。

ATPがお守りならば、頻拍も私にとってお守りなのかもしれません。

術後②空気読める内臓たち/リハビリ

つづきです。

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ここでちょっと息抜きに(?)プチ自慢をしたいと思います。
私の臓器たち、空気読めるんです(笑)


まずは大腸さん。
ICU、HCUでは尿道カテーテルが入っていてオムツの状態。
感染予防のため看護師さんに“お下”を洗ってもらうこともありました。。
そんな中でも私にはまだ羞恥心が残っていまして、それが“お通じ”問題でした。
オムツにしちゃったらこの世の終わりだ…!
差し込み便器…イヤ!!!
ポータブル…イヤ!!
で、便意が来たらどうしよう…と半分眠りながら心配していました。
ですが、無事にICU、HCUを乗り切り、病棟に帰室したその日に術後初めての便意さんが来て自分でトイレでできたのでした。

あー待っててくれたのね、私の大腸さん!なんて空気の読める子!!と、まずは自分の大腸をこっそり褒め称えました。
(ほんの少ししか食べていなかったので当たり前かもしれませんが…。)



そしてもう一つ

harapekoikko.hatenablog.com

ここにも書いたのですが、生理がカテ治療とオペを避けて来てくれまして。
空気の読める卵巣さん(と子宮さん?)とよろこんでいたのですが、病棟に帰室して数日後に生理が来ました。
おおーーー自分でできるタイミングで!やっぱり空気の読める子!!

というわけで結果的にちょうど生理の合間を縫って治療を終えたような日程だったのでした。


バカみたいだけど、空気読める自分の内臓さんが大好きです(笑)
全身みんなで協力して(?)臨んだ治療でした。

尿量を測る時に(混入するので)めちゃくちゃ血尿でちょっと笑ってしまいましたが。





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くだらない話が長くなりました。
次はリハビリについて書きたいと思います。時系列は行ったり来たりです。


私が子どもの頃はリハビリなんてなかったのですが、今は早期離床がいいことがわかっているし運動指導などもちゃんとしているのですね。
私もしっかりリハビリのお世話になってきました。

リハビリ科の医師は術後にたしか2回ほど来てくれて、今後リハビリを進めていいか?や痛みの度合いなど確認していました。
そして術後3日目に初リハビリ。
理学療法士さんが来てくれて、血圧を測りながら床上で少しの準備運動をした後ベッドサイドに立って足踏みまでしました。
まだいろんな管がじゃらじゃらとしていたので、立つ前のそれらの整理に一番時間がかかっていてなんだか申し訳ないなぁと思いながら見ていました。
まだ傾眠状態っぽく、ぼーーーっとしてしまうことに困っていたので、この初リハビリはすごく刺激になり気分もスッキリしました。ベッドに吸い込まれて沈んでいきそうだったのが、ベッドとは別物の自分の身体を意識できたような気がしました。

このリハビリの後食事も椅子に座ってしてみよう!となり、スパルタ気味の看護師さんに食事が来る30分前くらいから椅子に座らされたりせてもらったりして少しずつ自分で身体を動かせるんだな…!と実感していきました。


一般病棟に戻って数日後には本格的にリハビリが始まりました。
理学療法士さんが来てくれて、簡単な筋トレを教えてもらってやったり、最初は200m、翌日は400m歩いて血圧やSpO2を見たりしました。

担当の理学療法士さんがかっこよくて…!
リハビリは気分転換かつ刺激かつ癒しの時間でした。(オバサン気持ち悪くてごめんなさい。。)
理学療法士さんに「やったよ」と言いたくて自主トレもしました(笑)


数日病棟内でリハビリをした後はリハビリ室に行ってエルゴメーターで自転車漕ぎをしました。
リハビリ室が病棟とは別の建物の中にありすごく遠いので毎回ヘルパーさんに車椅子を押していただき、リハ室の行き帰りも気分転換になりました。

この自転車漕ぎで私の全能感ポッキリの「ポッ」くらいな出来事が。

エルゴの負荷を調整して15分〜20分ほど漕ぐのですが、最初は負荷1で5分+負荷2で10分くらいだったかな?
日常生活の負荷は3だそうで、こんなの余裕じゃなきゃねぇ私はもう酸素も上がってチョロいはず…と思って挑みました。
が、あれ…思ったようにできない…結構しんどい…てか10分って長い……

こうして思ってたよりも体力が無いことを実感し少しガッカリ。でも少しずつできるようになって3の負荷まで到達したい!!と気を持ち直しました。

しかし翌日、負荷1と2で合計20分漕ぎ、昨日よりがんばれたぞ!と思って整理体操をしていると頻拍が出ました。え…
リハ室の心電図モニターがチカチカ光りながらファンファンとアラーム音を鳴らしている。

後の記事に書きますが、私の入れたペースメーカーは頻拍を止めてくれる機能があって、それが作動し止まりました。(その後また起こりまたペースメーカーが止めてくれた。)


この時は頻拍に対しては「ああそうですか」という感じで深くは気に留めなかったのですが、運動した後に出たことがなんだか悔しくて情けなくて。

その後病棟でも頻拍と格闘することになるのですが、それを気にしながらの進まないリハビリ、そしてまたリハ室で頻拍が出たり…とすごくもどかしかったです。


そして極めつけはリハ室で私よりだいぶ術後間もない“おじいちゃん”と言ってもいいくらいのおじさまが、初エルゴの負荷2で「軽い軽い!」と悠々と漕いでいたことでした。

ああ…私って体力無いんだな……
これからまた仕事だってしたいのに、日常生活の負荷まで全然たどり着けないし術後間もないおじさまに全然負けちゃうんだ…。。

こんなふうになんとなく自分にがっかりしながら退院してきたのです。
まあ心臓の構造がそもそも違うので、拍出量だって正常な心臓と比べたらそりゃ少ないししょうがないんだとは思うんですが、『酸素93%でもうなんでもできる!今までとは住む世界が変わった!』訳では無いんだな…と至極真っ当なことを改めて実感させられた気がしました。




次は頻拍とペースメーカーについて書きたいと思います。